今朝は、日の出とともに、千鳥ヶ淵まで6キロ散歩。
桜が満開で素晴らしかったです!
さて、無事に年度末を迎えることができました。
お客様・パートナー・仲間に、
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
慌ただしいこと、この上ない年度末でしたが、
次年度は、これまで先送りしていたこと、
やり残したことに着手します!、
人には無限の可能性がある、
それを引き出す場を、いかに創出していくのか。
謙虚に、真摯に、されど理想は高く、
新たな年度も、進んでまいります!
今朝は、日の出とともに、千鳥ヶ淵まで6キロ散歩。
桜が満開で素晴らしかったです!
さて、無事に年度末を迎えることができました。
お客様・パートナー・仲間に、
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
慌ただしいこと、この上ない年度末でしたが、
次年度は、これまで先送りしていたこと、
やり残したことに着手します!、
人には無限の可能性がある、
それを引き出す場を、いかに創出していくのか。
謙虚に、真摯に、されど理想は高く、
新たな年度も、進んでまいります!
ここ数年、ずっと達成できなかったプライベートでの目標を
ようやく昨日達成できました~!
やり抜く力に必要なのは、メンターと仲間の存在。
自分1人では孤独を感じることもありますが、
伴走下さる方の存在は大きいと、つくづく思います。
以前、ATDカンファレンスでスタンディングオベーションの嵐だった、
スタガ・ミトラ氏の話を思い出しました。
貧困層の子供たちにパソコンを用意し、
とにかくほめてくれるおばちゃんを増やしたら・・。
劇的に習得率が向上したという。
ただ、子どもたちを励まし続ける。
「いいね」「すごいね」と褒めたり、
「それは何なの?」とか「もう一度やってみて」
「それ、もっと見たいな」と、働きかける。
おばあちゃんのような関わり、
大事です!
関西でも、桜が一斉に咲き出しました!
明日から東京。ホテルから千鳥ヶ淵へ、
早朝散歩に行ってみようかと、
この時期ならではの楽しみが広がります!
さて、桜と言えばいつも思い出すのが、
松下幸之助氏のこの言葉。
『時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力を蓄えている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても成就しないであろう』。
『何ごとをなすにも時というものがある。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ』。
桜が満開のこの時期だからこそ、
ひときわ感じ入る言葉です!
「蓄えられた力」。
それは日々の鍛練のたまもの。
待つ、という忍耐も必要です。
カムカムエヴリバディのぶんちゃんもまさに!
今週まさかの急展開。
『どこで何をして生きようとお前が鍛錬し、培い、
身につけたものはお前のもの。決して奪われることのないもの』
日々の努力というものはどんな形になっても自分のもの。
いずれ来るであろう機会に備えているのだからこそ、
チャンスを掴めるのだという、虚無蔵さんの言葉が刺さります!
いよいよ春が来た。
ほどなく桜も咲き始めますね。
今年も奈良の宇陀市にある「高見の郷」や、
「又兵衛桜」を愛でたいものです。
さて、今週はモヤモヤ攻撃!?に、やられそうになりましたが、
ようやく心も晴れてきた感じです。
モヤモヤの原因は何なのか。
・すぐに答えが出ない問いが立っているからか?
・新たにチャレンジしようと思ったことが、
想像以上にハードルが高いことに愕然としたからか?
・期末なので慌ただしいからか?
・自分の思い通りにならない!と、自分の中のエゴが暴れているからか?
と、書いてみて気づく。
ほとんどが「外に原因がある」というスタンスではないか!
このことにモヤモヤしている自分を俯瞰してみる。
「いったいこのことは、自分に何を問いかけているのだろう?」
「気配の向こうにある願いとは何か?」
週末は自分との深層対話を楽しんでみよう!
、
『指導者たるものは、できるかぎりとらわれを排して、
ものごとをあるがままに見るように
つとめなければならない。
そうしたあるがままの認識があって、
はじめて適切な指導も生まれてくる』
(松下幸之助氏 『指導者の条件』より)
ついつい、自分の感情に影響されたり、
思い込んだり、都合の良いように解釈しがちですが、
それでは正しい判断はできない。
あるがままの認識をして、
はじめて、適切な指導も生まれてくるのだと。
仏教の八正道でも、まず説かれるのが「正見」。
自分中心の見方や偏った見方をせず、
物事を正しく見ること。
とはいえ、ありのままを見るというのは、
なかなかに難しいことでもあります!
1年以上前に買いましたが、
なぜだか、読む気になれなかった本、
「ドーナツ経済学が世界を救う」
ようやく読了。
ドーナツの図が意味しているのは、
限られた地球資源=境界線の範囲内で、
すべての人々のニーズを満たせるよう追求することであり、
それこそが人類の幸福の根幹だと、著者は説きます。
それ以下には誰も落ちてはならない境界線と、
それ以上に地球へ負荷をかけてはならない境界線。
この2本の線で挟まれた部分が人類にとって安全で公正な範囲で、
その形がまさにドーナツ!
境界線があることに不自由があるかもしれないけれど、
それが、人間の創造力を解き放てる、というのも納得です。
では、私たちは何から始めるのか?
「繁栄とは?」
「豊かさとは?」
「経済成長なき未来をどう生きるのか?」
このように、大きな問いをたてることも大事ですが、
日々実践できることも少なからずあります。
・食生活が地球に与える影響を考え、食べるものを選ぶ
・地球環境を考え、移動手段を選ぶ
・姿勢に共感できる企業の商品を購入したりサービスを利用する
・自社の存在目的を考え直してみる
ドーナツ図が示すような豊かな人間性あふれる経済社会の実現には、
人類と地球のためのパラダイムシフトが不可欠です。
読み応えある本でした!
今日の東京は、春を飛び越え初夏のような暑さでした。
いい天気なので、てくてく歩こう!と、
3キロの予定が、Googleマップの罠?にハマり、
結局4キロ近くうろうろすることに。
汗だくになりましたが、いい運動でした。
さて、先日のclubhouseでは、afterコロナを見据え、
今、何を感じているのか?
思い思いに語りました。
・オンライン上の繋がり方が変わってきた
・答えのない問いが増えた
・出入り自由なコミュニティが増えた反面、
入口で良し悪しをジャッジし「奥の院」まで至らぬこともあり
・消費動向が読めない。乱高下し乱気流模様
・トレンドやマス(大衆)がなくなるのではないか
・健康への関心の高さ
忘れられない日がやってきました。
東日本大震災から11年。
あの日のことは、鮮明に覚えています。
夜、京都で講演ののち和歌山に移動予定でしたが、
津波の恐れありということで、和歌山方面への電車はすべてストップ。
急遽自宅に戻り車で移動。夜遅くにホテルに着いたのでした。
目に飛び込んでくる映像は、信じられない光景。
人生は有限ということはわかっているけれど、
まだまだ終わりの日など来ない、と思い込んでいる自分。
しかし、そんな保証は微塵もない。
それを痛感しました。
だから、「今を生きる」。
この日がやってくると、そのことを痛切に思うのです。
ドラッカーの一説を備忘録として!
『トップ本来の仕事は、
昨日に由来する危機を解決することではなく、
今日と違う明日を作り出すことであり、
それゆえに、常に後回しにしようと思えばできる仕事である』。
確かに!
『今、目の前にある問題は、
過去の意思決定と行動の結果。
この過去を優先すると、
問題の抜本的な解決は遠のき、
問題を前提に、いくら計画を立てても未来は変わらない。
そこで行うべきことは、未来を計画する前に、
生産的でなくなった過去の活動を廃棄すること。
廃棄の本質は「資源の開放」。
過去の活動に縛りつけられている資源を、
今の自分の手に取り戻すことであり、
その資源を明日の機会に集中するとき成果が上がる。
「選択と集中」ではなく「廃棄と集中」である』。