空(くう)

般若心経の中でも核心の思想といわれる「空」。
わかったようなわからないような概念です。
ということで、以前観た100分de名著の
「空」の特集を再度視聴。

世界は「空」である。
この世の物質要素(色 しき)は、
「実体がないという状態(空 くう)」であり、
この窓から見える景色も、変わっていくから美しい。
移りゆく世界は、「空」の中からあらわれてくる現象。

太陽は朝、東に上り、西に沈む。
満開の桜も10日もすれば散ってしまう。
うつろいゆく世界には何か法則があるのではないか。
それを「空」と呼んだ。

これは自分とて同じ。
「ここに自分というものがある、という想いを取り除き、
この世のものはすべて空であるとみよ」。
これがお釈迦様の説いた空。

空は私たちにポジティブなエネルギーを与えてくれる。
永遠のものなど何一つない。
ならば、一瞬一瞬に意義を見出すことである。
苦しんでいることも、永遠にそこには存在しない。
永遠の愛が続かないこともある。

「色即是空」とは一つの宇宙観。
この世の物質要素は永遠ではない。
「空即是色」とは、すべては移ろいゆくからこそ美しい。
変化するさまが美しい。

やっぱり難しい・・。

生きることは過剰性とのたたかい

今しがた福井に着きました。
春の陽気から一転、真冬のような寒さです!

道中、サンダーバードで読んだ月刊誌。
宗教学者であり僧侶の釈徹宗氏と、
クローズアップ現代の元キャスター、
国谷裕子氏の対談記事のこんな言葉に
目が留まりました。

『生きることは、自分の中の過剰性との闘い。
その過剰さをどうコントロールするかで、
幸せにも不幸にもなる。
人の幸福を考えるために、
これからはフェアとシェアに
目を向ければならない』。

確かに!過剰に求める心には際限がありません。
もっと、もっとと求め続けている心には、
いつまでたっても満たされている感がありません。
さらに対談は続きます。

『仏教では、人が生きる上で避けることのできない
苦しみの根源に、「過剰なもの」があります。
わたしたちはこれまで、過剰に求める心で、
大量生産→消費→廃棄をしながら、
経済成長をしてきたが、その流れを
一度立ち止まって見つめなおすことも大事です。

人間の欲望を「ニーズ」と呼び換えて、
ビジネスチャンスを生み出し続けていくと、
地球はもたなくなってしまいます』。

今こそ、過剰性に裏打ちされた生き方を
見直す時なのかもしれません。
最近起きている社会的問題の大半は、
わたしたちの過剰性への警鐘だとも言えますね・・。

問いを忘れる

自分の考えを文章にしてみる。
一人ブレインストーミング風に
徒然なるままに、自分の想いや考えを書いてみる。

その時は、そうだなあ、と納得しても
一晩寝かせて、朝の静寂な中で読み返してみると、
いや、もっとこういった考えもあるな、とか、
ここは違うな、ということがまたまた現れる。

そんなことを繰り返している時、
田坂広志氏の「深く考える力」という本が届く。
以下は、印象に残った一説です。

『例えば、自分である考えを文章表していくと、
ふと、一つの”問い”が心に浮かんでくる。
その問いを自問自答の形で自分に問うと、
最初は心に何も浮かんでこないが、
まもなく心の奥深くから、答えが浮かび上がってくる。
これは「賢明なもう一人の自分」が、
心の奥深くで、自問自答に耳を傾けており、
その問いに刺激を受け動き出し、
答えを教えてくれる瞬間である。

しかし賢明な自分は、いつでも問いに対する答えを
くれるわけではない。
そんな時はどうするのか、というと
「一度その問いを忘れること」。

答えを知りたいという気持ちが強すぎると、
もう一人の自分の直観力は働かない。
しかい考え尽くして疲れ果て、一度、その問題から離れ、
休息をとったときや、睡眠をとったとき、
さらには他の仕事に集中したときや
何かの遊びに没頭したとき、
突如閃くことが多いといわれる。』

無心になったとき、
直観が閃く、ということが確かにあります。
しばらくその問題から離れてみる、
問いを忘れることも大事なのですね。

変化を楽しむ

今、うまく行っていればいるほど、
手の中にあるものが大事であればあるほど、
危機感は薄れ、変化に対して億劫になってしまいますが、
その結果、取り残されてしまうことになりかねません。
ディスラプティブ(破壊的な)イノベーションが
起きている、と言われるこの時代、

「変化は起きる」
「変化を予期しよう」
「変化にすばやく対応しよう」
「変化を楽しもう」
「進んで変わり再びそれを楽しもう」

というような心持ちで、歩んでいきたいものです。

『人生は、何の邪魔ものもなく
歩めるような まっすぐで楽な道ではない。
通る者にとっては迷路で、
自分で道をみつけねばならず、
道に迷い、わけがわからなくなり、
ときには 袋小路につきあたることもある。

しかし、信念があれば、
かならずや道は開ける。
思っていたような道ではないかもしれないが、
やがては良かったとわかる道が、きっと切り拓かれる』。

自分と向き合う時間

1267回目の東大寺二月堂修二会が始まりました。
大仏開眼と修二会創始は、同じ年の752年。
仏法による鎮護国家を願った聖武天皇や僧侶らの、
1千年先の未来を見据えた想い。
これ以降、途切れることなく続いている行法です。

昨夜2時、この1年、二月堂を照らす火が、
堂童子によって切り出される「一徳火」。
真っ暗な堂内に火花が散って、
新しい火が誕生し、そして開白法要が始まります。
人が犯した全ての罪を11人の練行衆が代表し、
十一面観音様に懺悔し、すべての生きとし生けるものの
幸せを願う法会。

3月1日深夜から本行が始まり、
15日昼に満行となります。

「たくさんの命の上に、自分の命があります。
この1年どう生きたのか、自分と向き合う時間が、
修二会だ」と、東大寺第222世別当の狭川氏は
おっしゃいます。

ありがたいご縁に導いていただき、
生まれて初めてこの場を体感しましたが、
声明(しょうみょう)が流れるお堂にいると、
奈良時代にタイムスリップしたかのような
感覚が芽生えてきます。

3月12日深夜のお水取り、
そして、連日のお松明。
修二会をもっと理解するためにも、
足を運んでみたいです!

丁寧に生きる

法相宗の大本山薬師寺と、
律宗の総本山唐招提寺。
仏教興隆のために人生をかけた、
玄奘三蔵と鑑真和上のお心に触れるため、
先日、訪れました。

ジープ島から戻って以来、
「息」の大事さを感じていますが、
この「息を磨く」とは、そういう場所に身を置き、
先人のお心に触れることでもあるのだなあ、と。
また、日々を丁寧に生きることも、、
何かの変化をもたらすのかもしれません。 

丁寧といえば、
染織家で紬織の人間国宝、
志村ふくみ氏の「一色一生」の言葉。

『自分の色というものは、
たった一つしかないのかもしれません。
それを求めてもらいたいと思いますね。

一つしかない色だけど、喜びや悲しみなど様々な感情、
刺激によって輝いていく。
その色に出逢うための人生じゃないですか。

それと同じように、
人の人生も織物のようなものだと思うんです。
経(たて)糸はもうすでに敷かれていて
変えることはできません。

人間で言えば先天性のもので、
生まれた所も生きる定めも、
全部自分ではどうすることもできない。

ただ、その経糸の中に陰陽があるんです。
何事でもそうですが、織にも、
浮かぶものと沈むものがあるわけです。
要するに綾ですが、これがなかったら織物はできない。
上がってくるのと下がってくるのが
一本おきになっているのが織物の組織です。
そこへ緯(よこ)糸がシュッと入ると、
経糸の一本一本を潜り抜けて、トン、と織れる。

私たちの人生もこのとおりだと思うんです。
いろんな人と接する、事件が起きる、何かを感じる。
でも最後は必ず、トン、とやって一日が終わり、朝が来る。
そしてまた夜が来て、トン、とやって次の日が来る。
これをいいかげんにトン、トン、と織っていたら、
当然いいかげんな織物ができる。
だから一つひとつ真心を込めて織らなくちゃいけない。
きょうの一織り一織りは
次の色にかかっているんです』。

ありがたきフィードバック

思えば深く考えたことのなかった、
自分の原点。そしてどんな未来を実現したいのか、
ということ。

職人のごとく、目の前のことに最善を尽くしながら、
進んできましたが、ここにきて、
いったん立ち止まって、考える機会が続いています。

しかし、考えたことをアウトプットするプロセスがまずい。
いつの間にか書くことが目的となってしまい、
それは本当に自分が見たいと思っている未来なのか。
いや、綺麗な言葉で帳尻を合わそうとしている
自分がいることに気づく。

ビジョンは理念でも、目標でもない。
「働きがいを支援する」とか、
「顧客を大切にする企業になろう」
というのは抽象的すぎるし、当たり前すぎて、
その言葉からは、企業の個性が感じられない。

だからといって売上目標○○円、
などというのは具体的な目標。
曖昧さも必要だが、具体的すぎてもいけない。

ビジョンとは、「最適の曖昧さ」を
持っているのだと思います。
新しい何かが生まれてくるのは、
カオスの領域と秩序の領域のちょうど境界。

その言葉を聞くとイマジネーションが刺激され、
インスピレーションが湧き、創造的な発想が生まれる。

今日のセッションでは、
貴重なフィードバックをいただきながら、
そんな気づきが沸き上がってきました。

語る自分自身も、聴き手も心躍るビジョン。
まだまだ道のりは遠いですが、
言霊を語るための、旅は続きます。

テンションが上がる!

今日はプレミアムフライデー!
とはいえ、すっかり忘れ去られた感あり・・。
新幹線はすべて満席、民族大移動の金曜夜です。

さて、車中のお供は、
年始に書店で運命的!?に出逢った、
石井ゆかり氏の「3年の星占い 魚座」。

占いの本はほとんど買わないのですが、
石井氏のものだけは別です。
装丁もおしゃれだし、文章のタッチもナチュラルで、
肩に力が入っていないのが心地よいのです。

そして、この本はまだ買って2か月にも関わらず、
10年選手のようにボロボロです。
それは、読めば読むほどテンションが上がり、
これはもうやるっきゃない!と、思えるからです。

『2018年から2020年のあなたの夢は、
あなた個人の人生だけに収まるような夢ではなく、
もっと大きな夢なのかもしれません。

それは、あなたの大切な人々と共有できる夢であったり、
あるいは世の中を変えていこうとするような、
大勢を巻き込んでいける夢なのかもしれません。

この時期の夢は、そのスケールが大きければ大きいほど、
逆に現実味を帯びてきます。
その夢を叶えようとするのはあなたの手だけでなく、
もっとたくさんの人々の手です』。

ああ、このタイミングでこのメッセージは
とても心強い。
そしてさらにはこんなことも!

『2018年はストレスやプレッシャーから解放される爽やかな年です。
また、”世界が広がる”、”未来が広がる時期。
旅行にでる人が多いでしょう。
この旅は、物見遊山ではなく、知的に大きく成長を
遂げるための旅だからです』。

今年はATDでサンディエゴへ、
夏には視察を兼ねた北欧に行く予定です。

とにもかくにも、この本を読むたびに、
「どんなことでも、成しえることができる!」と
根拠なき自信が漲ってくるので、
1日1回は目を通します(笑)。

今、考えていること。
やれる気しかしません!

ちょっとだけ殻を破る

高松でのセミナーを終えて、
東京に向かうのぞみの中です。
今週は毎日新幹線に乗りましたが、
移動好きの私にとっては、最高の日々!
毎日環境が変わることも、とっても刺激的です。

さて、道中読んだPHPの中に、
こんなくだりがありました。

『ある程度の年齢になった女性には、
”私にはこれが似合う”という定番があります。
いろいろとチャレンジし、
失敗も重ねてたどりついたスタイルなので、
着ていると安心感があります。
しかし、ときめくことがないのも確かです。

(中略)

毎日を面白くするのは、それまでの自分に
とらわれず、新しいことに踏み出す好奇心と、
小さな勇気ではないかと思います』。

うんうん!わかります!
これはファッションに限ったことではなく、
自分のお気に入りのお店、いつもの道、
コーヒー豆、パン屋さんなど、
パターン化しているものはたくさんあります。

もちろんそれは自分にとっての
コンフォートゾーンなのですが、
ワクワク感、というほどではありません。

たまには違ったパターンを試してみて、
違和感を感じるようであれば、
またもとに戻せばよい、というだけですから、
固定化してしまった、考え方や行動を変えてみる。
きっと、生活の中にイキイキした感覚を
取り戻せそうです!