2021年4月26日
談合での気づき
週末は月に一度のオンライン談合でした。
談合とはよからぬ意味に使われることが多いですが、
学び合う仲間が、講義をどのようにとらえたのか、
お互いの対話を深める場のことです!
「無限の努力」という言葉が印象に残りました。
圧倒的な努力をして得たこと、生み出したことを自分のものとしない。
自分が頑張ったからこれが出来たのだ、と思うことで鼻がぐぐーんと伸びて、
傲慢な気持ちが生まれたり、「これだけ頑張ったのだから誰にも渡したく
ない!」という執着が生まれる。おおお!と開眼しつつも、
自分のちっぽけなエゴが邪魔をし、なかなかその境地には至れないのですが、
そうありたいなあ、とは思いました。
さて、『禅語エッセイ』は折に触れ読み返す、愛読書です。
自分を省みて、気付かされることも多くあります。
頑張る、ということについて、この禅語エッセイにもこんなことが
書かれていました。一部引用します。
誰かのために頑張ることは尊い。
けれども、そこに見返りや感謝を望む気持ちが
少しでもあるとしたら、それは最終的に
自分のためにやっていることだと、
わかっておいた方がよい。
自分のためなのだから、
感謝されなくても、
気づかれなくても
うっとうしがられても、
いいのだと気づこう。
感謝さえ求めず、
無償で頑張れる自分を誇りに思おう。
その行動を見ている人はいなくても、
あなた自身はしっかり見ている。
そして天もあなたを見ている。