自分への覚書。
日々、幸せに暮らしていても、
誰かが心に小石を投げてきます。
穏やかだった心の湖に、小石を投げてくる人がいます。
小石どころか大きな石を投げてくる人もいて、
水面は波立ち、心がささくれ立ちます。
ここで、ささくれ立った心のままに、
自分も石を投げ返してしまったら、
あとはさらに大きな石を投げ合うしかありません。
しかし、そうせずに、
投げられた石の意味を考えていると、
やがてその波はおさまります。
投げられた石の意味を考えてみると、
それは自分のなかにもあることに気づきます。
一方的に石を投げられていたのではなくて、
実は自分にだって、誰かの心に石を投げていたのです。
あなたの心に石を投げていた人は、
あなたにそれを気づかせるために投げていたのです。
ですから、それに気づくと、
その人は去っていきます。
気づかないで相手に対して怒っているかぎり、
その人はそこにあいかわらず居座って、
大小さまざまな石を投げ続けてくるのです。
「そんなこと、いくらいわれたって、感情的に絶対、無理!」
この気持ち、わかります。
意地悪をされた生々しい記憶がある以上、
なかなか難しいですよね。
こういうときこそ神社・仏閣に行くといいのです。
神仏の前で、自分が許せないと思っている人に感謝し、
その人たちの幸せを祈ってください。
そうするとどうなるか。
宇宙では、こう判断します。
「ああ、この人はもうこのレベルまで来ているんだな。
だったら、もうその経験しなくてもいいね」
こうして、パソコンのOSが入れ換わるように、
シナリオも書き換わります。
私たちは、自分の宿命は変えられませんが、
運命はいくらでも変えることができるのです。
『感謝の習慣』で人生はすべてうまくいく!より一部引用